2012年12月5日水曜日

内田ノボル選手

お久しぶりです 今日は内田ノボル選手について語ります


 内田 ノボル(うちだ のぼる、1975年7月24日 - )は、日本の元キックボクサー。本名は松本 昇。埼玉県出身。ビクトリージム所属。翔拳道主催。
リングネームを内田にした理由は、女優の内田有紀に応援してもらいたいため。ニックネームはキック界のデビルマン。

アレクセイ・イグナショフやマイケル・マクドナルドに勝利したことがある。そのため内田を紹介する際「アレクセイ・イグナショフやマイケル・マクドナルドなどのトップファイターを破り、メキメキと実力をつけている。」など表現されていた時期もあったが、戦績はさほど揮わない。

過去にはマーシャルアーツ日本キックボクシング連盟や掣圏道(アルティメット・ボクシング)に参戦していた。

一時期、試合中に相手の反則攻撃を受けて試合続行不能になってしまうと言う不運にたて続けに見舞われていた。2005年8月22日のネイサン・"カーネッジ"・コーベットとの試合では、キックボクシングでは反則である倒れた状態での頭部へのキックを受けてしまい、試合続行不可能となった。2006年1月29日のリュウとの試合でも、同じくキックボクシングでは反則であるバックドロップを受けてしまい、後頭部を痛打。試合続行不能となった。

2010年1月17日、新日本キックボクシング協会「BRAVE HEARTS 13」で天田ヒロミと2分1Rのエキシビションマッチおよび引退セレモニーを行い、現役を引退した[1]。

2012年3月、埼玉県行田市に、キックボクシングジム翔拳道を設立し、選手を育成する傍ら、自らも選手としての復帰を果たそうとしている。

2012年12月3日月曜日

清潔・快適な設備のジムと金子貴幸選手


こんにちは
本日は清潔・快適な設備のジムと 金子貴幸選手なので清潔・快適な設備のジムと金子貴幸選手を話していこうと思います

金子貴幸さんは最近活躍している選手ですね


金子貴幸さんの所属しているジムでは清潔・快適な設備があるようです

内装

内装典型的なボクシングジムの印象を払拭する、清潔で明るいイメージの内装


休憩ラウンジ

休憩ラウンジリングが見えるラウンジスペース。
休憩やジムメイトとの語らいに。


金子貴幸さんは個人的にも応援しているので頑張ってください!


今後も金子貴幸さん以外にキックボクシング選手を紹介していきます

2012年11月27日火曜日

魔裟斗さんのことを説明します

こんにちは、今日は魔裟斗さんのことを話します。

魔裟斗(まさと、1979年3月10日 - )は、日本の男性キックボクサー、タレント、俳優、スポーツ解説者。本名・旧リングネーム:小林 雅人(こばやし まさと)。千葉県柏市出身。妻は女優・タレントの矢沢心。株式会社MASA・CHAEL所属。

日本人初のK-1 WORLD MAX世界王者。2009年12月31日を以って現役を引退した。
千葉県柏市にて出生。小学校2年生の時に両親の都合で千葉県柏市から沖縄県へ引っ越す。小学校6年生の時に再び両親の都合により埼玉県新座市に転居。小学6年次・中学校・高校時代を新座市で過ごす。埼玉栄高校中退。中退理由は、友人数人と「勢い」で辞めたと『ジャンクSPORTS』(フジテレビ)に出演した際に述べている。

高校中退後は10種類余りの職を転々とした。中でも焼き鳥店に至っては、勤務初日に「昼ご飯を食べに行く」と言い残し、そのまま戻らず辞めたという。

1994年、15歳でボクシングの名門ヨネクラボクシングジムに入門。しかしプロテストをドタキャンし、そのままジムを去る。その後、「喧嘩に使えそうだから」との理由でキックボクシングに転向、17歳で藤ジムに入門する。

1997年3月23日、全日本キックボクシング連盟でのプロデビュー戦で竹原太と対戦し、1RKO勝ち。

1997年5月30日、小比類巻貴之と対戦し、膝蹴りの連打により3RKO負け。初黒星を喫した。共にデビュー2戦目同士で3回戦の前座扱いであったが、メイン、セミの試合のキャンセルが相次ぎ、繰上げでその日の興行のメインイベントになった。この試合を、『格闘技通信』(ベースボール・マガジン社)は急遽見開き2ページ、オールカラーで掲載した。魔裟斗は敗北したが、魔裟斗の入場シーンを1ページ丸々の一枚写真を使用するという異例の扱いであった。